プレタの草分け

古き佳き時代、高級メゾンではオートクチュールのみを取り扱っていた。一部の富裕層にはそれで十分であったが、一般層は地方の裁縫師が作る質の劣るコピー商品を着るしかなかった。

エジプトのアレクサンドリアで貴族として生まれたものの、第二次大戦中にパリに逃亡してきたギャビー・アギョンは、1950年代のファッションの堅苦しさを嫌い、また、市場とのギャップも感じたことから、「ラグジュアリー・プレタポルテ」と称して、高品質でソフト、そして、ボディコンシャスな既製服を高級生地を使って作ることを思い立った。

オートクチュールは限られた個人客からの注文を受け、一点一点手作業で制作した服を顧客に渡すという流れだが、プレタポルテは、基本的には卸売から大量受注して小売する流れとなる。「プレタポルテ」以前の既製服は、既製品という意味を持つ「コンフェクション」や「レディ・メイド」と呼ばれていたが、これらの言葉が「大量生産された粗悪な安物」というニュアンスを持っていたため、それらと区別するために「プレタポルテ」という言葉が誕生した。そのため、日本語では「プレタポルテ」をそのまま「既製服」と訳さず、「高級既製服」と訳されることが多い。

世界最大の「高級既製服展示会(プレタポルテ・コレクション)」である「パリ・コレクション(パリコレ)」は、高級注文服展示会から派生し、1960年代から開催されるようになった。「パリコレ」では、日本人を含む、フランス国外のデザイナーも大勢活躍している。「オートクチュール・コレクション」よりも「プレタポルテ・コレクション」の方が規模が大きいため、今では「パリコレ」といえば、「プレタポルテ・コレクション」を指す場合が多い。

5大コレクションと言われる規模の大きい展示会で、パリ以外の「ロンドン・コレクション」「ミラノ・コレクション」「ニューヨーク・コレクション」「東京コレクション」の4つのコレクションは、いずれも「プレタポルテ・コレクション」である。

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